うちのじいちゃんが亡くなって1年・・・。
すごく早かった気がする。
いろんな事があって、9月末に仕事を辞めた。
次の日から、じいちゃんの病院に泊まりこんで看病する気でいた。
なのに次の日に亡くなった・・・。
すごく悲しくて、心臓が痛かった。
みんながそれぞれものすごく悲しんだと思う。
おばあちゃんは
「極道した」(=お金使って遊び歩いてた)とかよく言うけど、孫たちには本当にいいじいちゃんだった。
その後、職探しをしたけどかなり苦労した。
もうほんと生きてるのってつらいなぁって思うくらい
だけど、じいちゃんは
「もっと痛かったんや。我慢したんや」と思ったら、何度も挫折したけど、なんとかやってこれたんだと思う。
周りにはたくさん迷惑かけてきたと思う。
「ごめんなさい。色々ありがとう」と言っておきたい。
それでも、引き続き迷惑かけてるとは思うけど・・・。
つらいこともあったけれど、幸せもやってきた。
おじいちゃんが亡くなってから一ヵ月後にメルが出産した。
初めての体験だった。
グロくてえづきそうになったし
私1人でウチには誰もいなかった。
(私はぷーたろうだったのでウチにいた)
頼れる母は旅行中だったから、どうしようもなくて、お父さんにヘルプの電話をしたら会社から飛んで帰ってきてくれた。
←ほんとにいい会社だよぉ
初めての経験でもあったし、出産準備を全くしていなかったから余計に焦った。
産箱は作ってたけど、何匹お腹に入ってるかわからなかった。
ちょうど病院に行って調べてもらう日に出産してしまったのだ。
「さぁ、病院へ行こう!」とキャリーバックに入れようとしたら、子犬が出てきていたのだ
予定日より、3日ほど早かった。
後から、先生が言うには超安産だったんだけど、そのときは私は1人でパニックだった。
でも、ほんとに犬はえらい!
メルは子育て放棄するタイプだと思ってたけど
(ごめんね、メルちゃん)へその緒を切って、お乳をやり、ちゃんとこどものを面倒をみていた。
メルはゴハンも食べず、トイレも我慢してつきっきりだった。
近づいたら「ウゥー
」と怒って、こどもたちを守っていた。
産まれてきたとき、泣いてしまった。
悲しみの涙じゃなくて感動の涙かなぁ?
なんか分からんけど、泣いた。
人が死ぬときも泣くけど、産まれてくるときも
(犬だけど)泣くんだなぁ。
まるで、じいちゃんの生まれ代わりのような気がした。
「わしは犬か?」ってじいちゃんにつっこまれそうだけど。(笑)
でも、じいちゃんが生きてたら、毎日、ワンコにちくわをやりにきてくれたんやろうなぁって思う。
ワンコが大好きだったから。
そういうエピソードを思い出すとまた泣けてきたりする。
もう1年。まだ1年。
人には時間の流れのちがいがある。
私はまだじいちゃんが生きているような気がする。
じいちゃんの部屋に行ったらいつものようにパズルしてたり、ふらっとウチにやってくる気がする。
死んだって理解はできるけど、寂しい。
だから、色々思い出したら泣いてしまうときもある。
家族は何も言わないけど、それぞれがそういう寂しさがよぎるときがまだあると思う。
もっと、お見舞い行ってあげたらよかった。
もっと、何かしてあげれたんじゃないか?
そういう、してあげれなかったことがあるから悔やんで泣くんじゃないかなぁ。
しんみりしちゃったけど、私は正直、まだつらい。
でも、じいちゃんはしんみりが嫌いだったし、みんなが笑ってるのが好きだったから普通に生活している。
だから、法事も楽しくやった。
さすがに坊さんがいるときはおとなしくしてたけど、その後、みんなで中華料理を食べに行ったときは、ワイワイうるさいぐらいだった。
これが、じいちゃんには1番の供養になると思う。
みんなでワイワイ食べるゴハンが好きだったし、孫たちみんなに囲まれるのも嬉しかったみたいだし。
中華料理も好きだったし。 ここでみんなで決めたことある。
じいちゃんの命日にはみんな揃ってゴハン食べに行こう!って。
1年後もその次の年も・・・。10年後も!
全員集合!じいちゃんはそれが1番好きだった。
みんなで旅行へ行ったのも楽しかったし、家族の絆を深めるのはいいことだし、それをじいちゃんは望んでると思う。
今日はなんだか上手に書くことができないなぁ。
じいちゃんが明るいことが好きなので明るくするけど・・・。
本当はものすごく寂しいから。
今日お坊さんが、彼岸花の話をした。
彼岸花の花言葉は、悲しい別れともう一つ、再会って意味があるそうだ。
だから、いつか死んでじいちゃんに再会したときに笑って合えるようにいい人生を送りたいと思う。
彼岸花の花言葉を信じて、みんなで元気に仲良くがんばる。
辛くても、前向きにがんばれる人にならないとな。