母方のおばあちゃん(通称:バーコ)は御年80歳にして現役で働いている。
閑古鳥の鳴くほどのお店だけど、朝早く起きて、身支度と化粧をして、仏さんと神さんを
お祀りしてからお店の仕込みをする。
これは本当に尊敬する。整形外科に通っていて、痛いところとかもあるはずなのに
毎日欠かさず、お店に出ている。
明るくておしゃべりで楽しいバーコ。 ちょっと小ボケ(性格かもしれない??)で
人の話を聞かなかったり(自分の事を話すのに夢中になる
)思い込みで話を作ったり(想像力が豊かなんでしょう
)するのが、たまにキズだけど大好きなおばあちゃんだ!
お人好しで世話好きで、孫7人を分けへだてなくかわいがるから「バーコ、バーコ」と
孫たちにも慕われている。
一方、父方のおばあさん。ぶっちゃけ好きじゃない・・・[:がく〜:]
敬老の日やお誕生日にプレゼントを持って行っても、反応なし。
話を盛り上げようと気を使っても、反応なし。
子どもながらに「私の事、嫌いなのかな?」と思いました。
バーコはかわいがってくれるけど、おばあさんはかわいがってはくれない。
孫がどちらに懐くかといえば、無償の愛を注いでくれる方でしょう。
“着物事件”も大きな要因と言える。
母が私の着物を縫ってくれるようにおばあさんに頼んだ事がある。
「○○ちゃん(イトコの名前)の縫っているから」と断られたのです。
外孫と内孫を贔屓するおばあさん。誰が懐くと思う?
それでも私には義理がある。1度だけ優しくされた記憶が残っている。
犬に追いかけられ、転んでウンチがついてしまった事があり、おばあさんが洗って
くれたのだ。たったそれだけの記憶しかない。その義理もとっくに返し終わっている。
先日、おばあさんは転んで腰を強打したらしい。寝込んでいるという事を聞いた。
父さえも自分の母親なのに見舞いに行くのは渋々である。昔、コツコツ貯金していた
のを母親に使われていたなど、よい仕打ちをされなかったから当然といえば当然である。
「ユメカナ、連れて行こうカナ〜」(犬を連れていって気を紛らすつもり?)
父のその声で、メルマグも一緒に行こうとするので私も散歩がてらついて行った。
おばあさんは会ってそうそう「死にたい」と泣いていた。
「またかっ! このババァは!!」と、私は思った。
おばあさんが嫌な理由は会いに行くたびに、「死にたい」「あかん」と愚痴を
こぼすことだ。
以前、震えるほど腹が立つ事があった。
母方のおじいちゃん(ジーコ)が亡くなったときに、
「あんたのおじいさんは(死ねて)ええなぁ〜」と言うのだ。
「死んでええことなんかあるか! うちのジーコは生きたくて、家に帰りたかった
のに死んでんぞ! パズルしたり、パチンコしたいって、言ってたのにできなく
なったんや! 死にたいんやったらジーコに寿命くれたらよかってん
」
と、怒鳴りそうになったのを必死に堪えた。
おばあさんが余計に疎ましくて嫌になった。義理は果たすけど同情はできない。
お見舞いに行った時、看病している叔母の方が顔色が悪かった。毎日、愚痴を
こぼして陰の気をばらまいているのかと思うと、気の毒になった。
“義理は果たすけど同情はできない”けど、バーコ譲りのお人好しな部分が私にも
あるのでしょうか?叔母の顔色を見て、また見舞いに来ないといけないなぁと思った。
バーコの明るい部分が似ているとしたら、おばあさんの陰の部分も似ているはず・・・。
私もネガティブなところがあるんです
「もうあかん」「あー死ぬ」と言っては
相方に口をひねられる。「おまえのじいちゃんが聞いたらどう思う?」と言われると
すごく後悔してしまう。馬鹿な事を言っているのを気づかされる。
もう言わないようにしようと思っていても、逆境に立たされると口について出てくる。
精神面がすごく弱いんです
パニクルと過去吸になってしまうし・・・。
おばあさんもそうなのかもしれないなぁ。そう思ったら嫌いって思うのはかわいそう
かもしれない。確かに“自分で蒔いた種”で息子や嫁や孫は離れていってしまったん
だけど、不器用で表現ができない人なのかもしれない。
うちのバーコが話すのが得意で“陽”だとしたら、おばあさんは“陰”だ。
“陰”があるから“陽”がある。好きもあれば嫌いもある。
2通りのおばあちゃん。私がなるなら“陽”がいいけど、“陰”の部分も理解して
あげないといけないんやろなぁ〜。
というわけで、なるべくお見舞いに行こうと思う。やっぱりお人好しすぎるかな?
愚痴聞くのは、かなり嫌なんだけどね・・・